シネマッド2021年8月号
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12◆1964年、昭和39年10月10日の土曜日は前日までの台風接近による雨も止み、秋晴れでした。国立競技場には古関裕而作曲の「オリンピック・マーチ」が軽快に響き各国選手団の入場。その“しんがり”は、赤と白の制服に身を包んだ日本選手団355名―◆昭和天皇の開会宣言、甲高く鳴り渡るファンファーレ、最終ランナー坂井義則さんが聖火を掲げて入場し167段を軽やかに駆け上がって聖火台に点火!、青空を背景にブルーインパルスが五輪を描く曲芸飛行…◆競技が始まり、重量挙げ三宅義信の金メダルを筆頭に、水泳男子ドン・ショランダー、女子ドーン・フレイザー、陸上男子百㍍ボブ・ヘイズ、体操女子のベラ・チャスラフスカ、男子の遠藤幸雄や小野喬、マラソンの裸足の王者アベベ・ビキラに銅メダル円谷幸吉、女子バレーは日本“東洋の魔女”と鬼の大松が天晴れの金メダル、柔道の男子無差別級で神永を押さえ込んだアントン・ヘーシンクの冷静で紳士的な振る舞い…これらが、三波春夫の『東京五輪音頭』とともに、13歳だった小生の心を熱くし、戦後復興した「日本」を誇らしく感じさせ、同時に世界の国々の存在を強烈に印象づけました。いま思い出しても目が潤み、胸に込み上げてくるものが…。あれから半世紀余り―◆確か「復興五輪」「コンパクト五輪」を掲げて誘致した『2020東京大会』でしたが、初っぱなから新国立競技場のデザインや設計料、エンブレム盗作疑惑でやり直し騒動が起こるわ、競技会場を巡ってゴタゴタ続き…。そのうち新型コロナ・ウィルス感染拡大で延期を余儀なくされ政府も委員会もオタオタ、開催間際までトラブル連発で式典も音楽もボロボロになって…。◆あの時、IOCもJOCも、総理も組織委員会も東京都知事も、本当に1年で収束に向かい開催できると思っていたの?。専門家の知見・意見も無視してエゴと見栄で決めた?。たぶんIOCが米NBCから受け取る

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