修羅場は人を強くする冨村・林谷法律事務所弁護士冨村 和光さん●パーソナリティ玉田陽子〔オフィス・タマランズ代表〕 冨村先生は、昨年3月に満80歳の傘寿を迎えられました。お父さまの遺志を継いで検事の道へと進まれて31年後に退職、地元・広島で弁護士事務所開業。その20周年を記念して謝恩会を企画され、私もお招きいただきました。お客さまに喜んでいただくため席次やお料理などを何度もご自身で試行錯誤されながら楽しみに準備されていました。けれども、新型コロナウィルスには勝てず残念ながら中止となりました。 『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』(2019)は、冨村先生の心に残る映画です。1945年(昭和20年)、5歳の冨村少年は尾道に疎開中で、呉区裁判所の上席検事として単身赴任中のお父さまから7月1日~2日の「呉空襲」の話をお聞きになりました。約80機の米軍機から焼夷弾が雨のように降ってきて、すぐ二河川に飛び込んで、橋の下で鞄を頭の上に乗せて助かったそうです。川には多くの遺体が流れてきて、2時間後に呉の街は焼け野原になりました。戦後、冨村一家は戦災を免れた呉市長ノ木町で暮らすことになります。映画の印象的な場面で現存する市街や北方の山裾にある「三ツ蔵」…。主人公すずさんと同じように、あの前をよく通って遊びに行ったそうです。「幼い頃に見た呉の面影が本当に繊細で、懐かしい」と、しみじみ優しく語られました。映画には終戦の翌9月に呉を襲った枕崎台風も描かれ「不運な出来事が続いたね…」と感慨深げでした。 座右の銘は『人は修羅場をくぐり抜けるほど強くなる』―。これまでに数々の勤務地でさまざまな事件と向き合うたびに「逃げては駄目」と自分に言い聞かせてこられました。 1990年(平成2年)12月に香川県坂出市、瀬戸大橋直下の岸壁で釣りをされている時、溺れている女性を人命救助された経験もおありです。戦火を生き抜いたお父さまから受け継いだ命の尊さと「逃げては駄目だ」の強い気持ちを、穏やかな表情から垣間見たような気がします。〜その17〜11冨村先生の事務所にお伺いして記念写真を…
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