とびら開こう﹁思いやりの心﹂ひそためもうさいちょうこ り た「利己的」。そう、何かにつけて自分コロナ禍で「利他」という言葉が密かに注目を浴びている。「自分よりも他人の利益を考慮する」という意味で、仏教の教えに由来する人生訓である。「利他」で思い起こすのが『情けは人の為ならず』という古くからの人生訓。本来の意味は《他人に情けをかけるのは相手の為になるばかりではなく、めぐり巡って自分に帰ってくるもの》だ。が、現代では『情けをかけるのはその人の為にならないから、かけないほうが良い』と解釈する向きも多い。『為ならず』という文語体の表現が誤解を招く要因になっている。周知のように「利他的」の反語はのことしか考えないタイプである。しかし、三年に及ぶ世界的なコロナ大感染で、われわれは「利他的」な考えや行動実践の大切さを再認識しつつある。日常生活での「マスク着用」や「手洗い励行」「三密回避」なども、みんな「利他」の精神が試されている行動様式といえよう。新聞紙上などでも《いまこそ【利他の扉】を開こう》と呼びかける識者らの啓発論文や共鳴する地域での実践例が目立ってきている。 りた 十今や国際的な広がりを見せている持続可能な地球を目指す「SDGs運動」は、「利他」の精神の体現であろうか。家族や友人らの会食や趣味のサークル活動を控えた人も多いようだ。みんなで支え合う行動が定着しつつある。社会のために行動することが自分の幸せにもつながる。そうした試みが「利他の扉」を開く一歩になるだろう。空海(弘法大師)とともに、わが国の仏教の祖とされる最澄は「自分で苦しみを受けて喜びは他の人に」とする『忘己利他』の教えを説いている。平安時代のことだ。あらためて「利他」という教義の奥の深さと歴史を思う。さて、頭巾子も仏教徒を自負する身。「利他」の生活を実践して行きたいと、心を引き締めている。その二百八利他の扉
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