びょう長寿時代を生きる心得「人生百年」―長寿時代の心得は『一病息災』ではないか、と思う。その〝心〟を《人は一つぐらい病気がある方が、より健康に気を配るので長生きをする》との解釈にみる。類語に『無病息災』がある。こちらは《病気をせず健康である》状態をいう。《病気知らず》のことだ。《息災》は仏教語で、神仏の力で災いを無くす、という意味。『家内安全』とともに社寺祈願の上位を占めているのは、その名残かもしれない。新しい年を迎え、「一年の計」を立ててみた。はからずも、八十路を迎え立て続けに二つの手術を受けた。《鼠径ヘルニア》と《硬膜下出血腫》である。前者は脱内臓防止のため腹部に穴を開けメッシュ(網)を張る予防手術。内視鏡手術なので体の負担が少なく三日で退院。後者は脳神経外科で朝10時に診察とCT検査、午後3時には手術開始という慌ただしさ。後頭部に溜まった血液を抜き取るという緊急手術だったが、こちらも一か所穴を開けるだけの最新医学の治療技術によるもので四日目には退院。家族ともども「信じられない、医学の進歩のおかげ」と驚いたり感謝したり。担当医によれば《鼠径》も《硬膜下》も高齢者に多い症状という。大病もせず暮らしてきただけに、今回の二つの手術から、あらためて「健康であることの有りがたさ」と「健康保持の大切さ」を教わった。つまりこれまでの『無病息災』から『一病息災』への〝宗旨替え〟だ。この一、二年かつての職場の先輩や同僚の「訃報」が増えてきた。さらに「高齢による休止」を伝える賀状も―。書店には人生をどう締めくくるか、といった「終活本」が溢れている。長寿時代とはいえ、わが世代は『無病息災』で過ごせる時間には限りがあることを知る年齢を迎えたようだ。令和5年の新春は、そんなことを実感しながら迎えた。そう、『一病息災』を目指し、この一年を有意義に過ごして行きたいと誓う。その二百十一一病息災なごりけいこうまっや そ じそか いちそくさいふ 十あわしゅうし がほうあふ
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