2024年2月
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4◆1月2日は午前中「ビデオ初め」で『砂の器』を観賞、「泣き初め」も済ませました。午後には《これを観ずして》欄の「書き初め」に励み完成させました。新年早々、実に清々しい一日でした。この調子で今年は躍進したいと思います。◆それにしても、『砂の器』は邦画史上屈指の超大作であり超感動作でもあります。筆者が大学時代に広島スカラ座でアルバイトをしていたことは以前にも書いたと思いますが、ちょうどこの映画が公開された頃、松竹東洋座・名画座が建て替え工事中でスカラ座が松竹作品の代替上映館になっていて、『砂の器』は東京より少し遅れて11月30日から上映されました。◆もちろん職権?で仕事の前後に何度も観て泣きました。正月には“寅さん”があるので、それまでの4週間は「盆と正月が一度に来た」ほど大入り満員!の連続。その後は何度も“アンコール上映”されたもの。これぞ稀代の名作です。◆しかし、完成に至るまでは幾度の困難があったそうです。まずは松本清張から映画化を依頼された橋本忍は、次から次へと送られて来る新聞連載の切り抜きを読み、これは無理だと半分ほどで一度は諦めたとか。それでも、気になる部分に付箋を付け相棒の山田洋次に“研究”を頼んだそうです。その後、七転八倒の末に《これを観ずして》欄に書いた「浄瑠璃方式」を思いつき、父子の旅を軸に全体を再構築、わずか三週間でシナリオ完成に漕ぎ着けたそうです。◆そこには清張と橋本、野村監督との信頼関係もあったでしょうし「一流の映画人のプライド」とでも言いましょうか、“商業映画”とは一線を画した良心的な傑作を観客に届けたいという心意気があってこその情熱だと感じます。◆撮り始めは1973年の冬、極寒の地方ロケから。製作費を抑えようと橋本プロの総勢10人ほどで列島行脚に出たそうです。松竹撮影所のスタッフが同行すると労働条件から全員参加が必須なので経費が莫大になるからという裏事情も。それでも一年近くをかけて四季を

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