2024年4月
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 第22巻・第4号/通巻250号※禁無断転載5◆ある学者さんによると「最近の若者は自分の発言に対して責任をとりたくないから、曖昧な表現をするのでは」ということらしく、語尾に「なんてね」を付けたり、最近では「知らんけど」!◆そうそう、何年か前に新作映画の記者会見で若い記者が主演俳優に「役づくりで何か工夫されたりとか、苦労されたことがあったりするんですか?」と質問したので小生までが冷や汗をかきました。「あったりする」は「なかったりもする」が“対”になります。それに「苦労し、工夫して演じる」のが役者の仕事なんですけど…。◆ゆとり教育のせいでしょうか、それともパソコンから携帯電話、そしてスマートフォンと、便利なツールに頼る生活が続いたからでしょうか、だんだん学ばなくても考えなくても調べなくても生活ができるからでしょうか、どうやら人類はサボることを覚えてしまいほんわかと、適当に話していても会話が成り立つ時代になって…。◆その“成れの果て”が政治家で、悪行を追及されると「記憶にない」とか「秘書がやったことで、私は知らなかった」とかの責任逃れを連発して議員バッヂに執着するという、鋼鉄製の面の皮!。大人がそんなだと、若者は…。◆いっそ北欧諸国のように、昼間は本業に励み、夕方から議事堂に集合して審議する。議員の報酬は日当制で―。つまり国民・市民の代表として大切なことを議論して決めるという民主主義です。議員は「大先生」でも「特権階級」でもないのですから。できれば日本もいつか、そんな「民主主義国家」になって欲しいものです。まず若者に正しい教育を無償で! 【良】令和6年4月号 ●2024年4月1日発行

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