2024年8月
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5 第22巻・第8号/通巻254号※禁無断転載est.2003.4.7.舞台挨拶に立たれました。久々の再会で雑談を重ねて、錦織監督は帰り際にポツリと「僕もいつかはヒロシマの映画を撮りたい…」と仰ったので、それならいい題材がありますよ―と営業本部長に連絡して単行本を錦織監督に送付―。あのポツリがなければ…。◆間もなく「面白い!。撮りたい」と錦織監督、直ぐに出版社と保坂監督に連絡をとって1月に上京。保坂監督と錦織監督とは会うなり意気投合、「全てお任せします」と保坂監督は固い握手を…。◆6月26日の製作発表記者会見で保坂監督は「肩の荷がおりた…。菊島先生の墓前に報告できます」と目を潤ませて、声も少々震えておられました。仲を取り持った者として嬉しくもあり、こちらも肩の荷が…。いやいや、これからが正念場!。何んとしても理想的なかたちで映画化できるよう、小生60年の映画人生を締めくくる重要任務に取り組む覚悟です。◆政治家の「政策活動費」と違い、映画化には膨大な「製作活動費」が必要です。21世紀のヒロシマ映画に、皆様の温かい、厚いご支援をよろしくお願いします。 一一一一一一一一一一一一一◆訃報が届きました。高校時代の恩師、山田正巳先生が急逝されたとのこと。しかも小舎の設立日と同じ4月7日に。在学中も、卒業してからも、「映画手帖」時代も、陰に日向に応援してくださった方です。ことに小誌の創刊時、書店で余分に購入してくださったうえ実弟・山田洋次監督に「教え子が創った雑誌だ」と届けてくださり監督は定期購読を…。直ぐ弔問に伺い、奥様と思い出話を涙ながらに語り合いました。合掌 【良】令和6年8月号 ●2024年8月1日発行

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