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感動作『あの日のオルガン』の平松恵美子監督が八丁座で舞台挨拶

 太平洋戦争末期、若い保母たちが国の決定を待たず多くの園児を集団疎開させた実話を映画化した感動作
あの日のオルガン7月25日まで八丁座で上映中)平松恵美子監督が7月7日(日)、同劇場の舞台に立ち、製作の裏話を披露した。

 昭和19年、東京・戸越保育所の主任保母・板倉楓(戸田恵梨香)が園児の疎開を提案するところから物語は始まる。当時、国民学校の生徒たちは集団疎開となり、幼稚園は閉鎖。一方の保育所は「戦時託児所」と名前を変えて幼い子供たちを預かり、空襲警報に怯える日々を送っていたのだ。日本の未来を担う子供たちを空襲の危険に晒してはいけない―と訴える楓だが、脇本所長(田中直樹)が奔走するも国の対応は遅く、親たちも幼子と別れるのは辛いと反対する。そんな中で、楓の提案に賛同した愛育隣保館の主任・柳井房代(夏川結衣)は若い保母・野々宮光枝(大原櫻子)らを派遣、さらに恩賜財団大日本母子愛育会から資金も調達してくれた。脇本が埼玉の平野村にある妙楽寺を使わせてもらえるよう手配したが、そこは蜘蛛の巣が張った荒れ寺だった。楓や光枝、好子(佐久間由衣)たちが大掃除して住めるように片付けて、地元の世話役・近藤作太郎(橋爪功)らが食料なども提供してくれることになり、受け皿は整った。
 折しも東京の空襲が頻繁になり、親たちは我が子の命を保母たちに託すことを決意、53人の園児を連れて楓たちは疎開する。が、不便な生活の中で難問が続出、不安と寂しさからか子供たちの多くは“おねしょ”を連発するなど保母を困らせる。その空気を和ませたのは光枝がオルガンを弾きながら歌う童謡と、彼女を慕ってのびのびと遊び回る園児たちの笑顔だった…。

 この実話の映画化は40年ほど前に企画されたものの、資金や製作環境などが整わず何度も頓挫した末に、『パッチギ!』や『フラガール』などで知られる李鳳宇プロデューサーの手に渡り、平松監督に脚本を依頼するに至った。平松監督は長年、名匠・山田洋次監督の下で助監督と共同脚本を担当した末に『ひまわりと子犬の7日間』(2013年)で監督デビュー。今回は「当時も今も、子供の命が厳しい状況にある時代だからこそ“大切な命”を伝えたかった」と脚本・監督を引き受けた理由を話す。
オルガン平松監督1S 75年前の物語はさながら“時代劇”でもあり、セットや衣装など全てに製作費が嵩む。さらに撮影現場では大勢の子役をまとめなければならない…。「私一人でコントロールするのは無理なので保母役の女優さんたちに分担して任せ、日頃から仲良く遊んだり叱ったりしながら子供らしさや自然な振る舞いを壊さないようにしました」と明かした。当時20代だった保母たちは厳しい環境の中で「いつ終わるかも分からない疎開生活で、楽しいこともあったり失敗したりしながら24時間保育を成し遂げたので、体験談を聞くと皆さん明るいんです」と言う平松監督は中盤まで明るさを失わないタッチで描いた。それだけに終盤の展開が重く胸に刺さる。近年稀な、子供から年配者までに観て欲しい秀作だ。
 光枝と好子が友情の証しとして歌う「この道はいつか来た道…」という歌詞が、ラストでは「当時歩んだ戦争の悲劇への道を今また世界は歩もうとしている…」に聞こえてきますね―と感想を伝えると、平松監督は「そう、そこなんです」と笑みを浮かべた。
※写真=舞台挨拶後、ロビーでサイン会に臨んだ平松監督