待望の『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が公開されて3日目の12月22日(日)、片渕須直監督とすずさんの義母・北條サンの声と広島弁の監修を担当した広島市出身の新谷真弓が、八丁座での舞台挨拶に登壇した。
挨拶の内容の前に、作品の“呼称”について片渕監督に確認したことを記しておきたい。11月22〜24日に開催された「広島国際映画祭」の記者会見で、前作を「現行版」と称したり、新作を「長尺版」「完全版」などと書くメディアもありますが…と問いかけたところ「いやぁ、どれも本意じゃなくて…」と片渕監督。まだ新作の仕上げ作業中だったので、公開までに考えをまとめておきますから―と会場を後にした。そこで今回の舞台挨拶の後に“宿題”について尋ねると「私自身は前作を《2016年版》と言うようにしています。新作については完全版や長尺版というのは違っていて、ディレクターズカット版でもない。あくまで新しい解釈で、すずさんやリンさんたち女性の心情を描いたものなので
《新しい映画》と呼んでいます」と片渕監督。つまりシンプルに《新作》とか、講談などにある《新釈》のような感じですか?と振ってみると、「そう、その方が近いですね」と微笑んだ。
つまり《’16年版》では上映時間の関係もあって原作から大幅にカットしたエピソードを“復活”させることで、すずさんやリンを中心に、あの時代を生きた女性たちの心情を描く新しい作品にしたかった―というわけだ。
大ヒットした《’16年版》に約250カットを描き加え、約38分も長くなった《新作》(上映時間=2時間48分)は、公開されるや満席続きで、登壇した片渕監督と新谷は大きな拍手で迎えられた。「先週の月曜日から火曜日になる瞬間にやっと完成させた」作品を上映することができたと感慨深げ。「全力疾走しているうち突然に終わって目の前に何もなくなったけれど、気が付いたら、すずさんは大きなスクリーンに居た…ここから先、すずさんはお客さんの元へ行くんだなと感じました」と片渕監督。
実は当日「12月22日」は偶然、映画の冒頭で小さかったすずさんが海苔の缶を背負って中島本町に行ったのは昭和8年のこの日という設定だったと明かした。
セリフを入れる作業に3カ月も費やしたという新谷は南区宇品の生まれ、祖母は蒲刈島出身で、すずさんと同い年。その古い広島弁を参考にセリフを監修したと言う。片渕監督も「喋るだけじゃなくて、ちゃんと気持ちが通じる言葉、言い回しにしてもらった。前作を見たお客さんが、すずさんの喋り方はウチのおばあちゃんと同じで、あんな娘の頃があったんだと良く分かりました―と言ってらしたほど」と絶賛した。
片渕監督は、自作の『マイマイ新子と千年の魔法』をタカノ橋のサロンシネマで公開した際に舞台挨拶で訪れた2010年11月末に初めて広島の街を歩き「ああ、こういう街なんだ」と記憶に留め、こうの史代さんの原作を読んだ時に役立ったという。以来3420日間、すずさんに関する仕事をしなかった日は一日もない―という。加えて「ちょうど八丁座さんが出来た時に、仕事で“錨を下ろせる場所”はここだと思って、作品が完成したらここで上映してください―とお願いした。今日、改めて“すずさんの帰る場所”はここだ!と感じました」と涙ぐんだ。
トークの後、サイン入りアートブックを観客の中から“ジャンケン大会”で2人にプレゼントした。さらに観客のために撮影タイムも設けた(写真上)。その後はロビーでサイン会も開き、長蛇の列がなくなるまでの約1時間にわたり、笑顔で対応していた(写真下)